『平均への回帰』

『今は勝敗が偏っている時期で、いずれ「平均への回帰」が起こるのではないかと思っています』
今流行りの、藤井聡太四段の言った言葉らしいです。どこかのワイドショーで見た記憶があります。現在の連勝を本人が語っていると思われるセリフですが、『平均への回帰』とは恐れ入った、14歳のいう事かね。非常に上手い言い回しです。自身は驕(おご)り高ぶらず、冷静に現状を保てていることを伺(うかが)わせるに十分な感じが見て取れます。『冷静である事』『中庸である事』が棋士には求められます。その逆の状態を将棋用語で『焼ける』といいます。感情的で精神的にムラのある状態を指す言葉で、こうなると、冷静に局面を振り返れず、思わぬ見落としや、考え違いをおこし、勝負手を間違える、ミスを犯す、『焼けちゃあ、ダメだよねえ』なんて云って戒める言葉として使われたりします。棋士は勝敗で飯を食う正に勝負師で勿論相手のある戦いですが、同時に自分とも常に戦わなければならない職業です。藤井四段のように中学生であろうが、先頃引退した、ひふみんのように最高齢であろうが、同じ土俵の上で戦っています。棋士の世界は、ちょっと想像できない位の壮絶なバトルフィールドですが、自分に負けているようでは、決して相手には勝てません。羽生三冠を筆頭に物凄いモンスターの集まりなんです。そんな中デビュー以来の勝ちっ放し、しかも中学生、インパクトは十分で、内容もしっかりしているとなれば、騒ぐ気持ちはわからなくもないのですが、大半、意味もなく騒ぎ過ぎです。将棋が注目を集めるのは気分の良いことですが、過剰過ぎて、騒ぎが大きすぎて、少々藤井四段が気の毒になります。そんな中『平均への回帰』とは中々な人物だなあ、と思います。『いずれは固めて負ける時も来るでしょう』とは言わず『平均への回帰』と云った藤井四段は中々です。しかし、勝負師として『負ける』と言いたくなかった、その言葉は使いたくなかった、それがお洒落な言い回しを生んだのかなあ、なんて想像してみたりもします。中々です。
中身というか『炎の7番勝負』で羽生三冠に勝った将棋の棋譜は少し見ました。自分の実力では、その棋譜の本当の凄さは分かってないのかもしれませんが、凄かったです。この7番勝負はエキシビションで現在の連勝記録に含まれているのかどうかは定かではありませんが、錚々(そうそう)たる面子との互角以上の戦いは凄かったです。人に聞いた話ですが藤井四段は積極的にPCを使って将棋を研究しているらしいです、主に局面の形成判断を判定するのに利用しているらしい、と。先頃来、世間を賑わせている、コンピューター対プロ棋士の戦いの中で、棋士が徐々に勝てなくなってきている大きな要因の中にコンピューターの局面での形成判断、次の一手がこの局面でいいのか、悪いのか、どうなのかというのを確か評価というのだったと思うのですが、その評価が出来るソフトが出てきたことらしいです。この評価をコンピューター相手に研究を重ねているらしいです。嘘かホンマか知りませんけど。
いやいや何かそういう事ではなくて、無理矢理『平均への回帰』です。藤井四段のいう『平均への回帰』つまり『勝ちに勝敗が偏った時期があれば、いずれは負けに偏る時期も来るはず、そうして驚異的な勝率も徐々に平均的な勝率に落ち着いていくでしょう』と本人が言っているのです。この見通せている感じ、ちょっと達観が入って感じが藤井四段の本当の凄さのような気もしますが、世間の注目は一気に醒めるでしょうなあ、『負ける、負け続ける藤井君には興味が無い』とばかりに。だから、騒ぎ過ぎなんですよ、今は。
で、いやに気になる『平均への回帰』という言葉ですが、勝敗という分かり易い数字という事ではなく、人生経験、人の持つ運的な要素、経験則にもこの『平均則』のようなものがあるような気がするのです。個人においては『いい時も有れば悪い時もある』、団体というか他人も巻き込めば、『人生なんてプラマイゼロ、結局誰しもみな同じ』なんていうのは『平均への回帰』なんじゃないかなあ、なんて思うのです。しかし、だからどうした、といわれれば、あれ、何が言いたかったんだろう、という気になってきました。好きな将棋が今世間の注目を浴びているのがうれしいのか、なんなのか、藤井四段の活躍に、世間の反応に、云いたいことはもっとあったりして、前半気が散ったというか少々神経を使っていった結果『平均の回帰』という本題が将棋の藤井四段の言葉から離れて、自ら語りたかった、いや、何か今の自分に実感できる、何か、に引っ掛かったような気がしたので、書き進めてまいりましたが、ここへきて完全に本題を見失ってしまいました、あれ、何が言いたかったのだろうと。
まあ、こんなことも有るさ、今後の検討課題という事で、一旦お開きとさせていただきます。
あれ泣