人間の建設


久し振りのイオン、イオン和歌山、ジェームステイラーで珈琲片手に読書です。
今度は『人間の建設』です。これも実にヤバい笑
『数学を志す人へ』は、岡潔のエッセイなので、岡先生のエッセンシャル(本質)みたいなものが迸(ほとばし)り、日本語で書かれていること以外、訳がわからない笑
先生の一人語りが、読者を意識しているのか?いないのか?これは先生の癖なのか、他人の理解は何処へやら、自分の言いたいことは徹底的に云うという姿勢なので、訳がわからないと、益々わからなくなる。
しかし先生から『どうだ、訳がわからないだろう!』というアイロニカル(皮肉)な視点は一切無い。
どちらかというと、この位は当然だと思われている節がある、しかも、『これだけは、後世の為に伝えなければならない』という切迫感さえある。先生の使命感が迸(ほとばし)り漲(みなぎ)るものだから、余計分からないが大きくなる、まあ、遺言といった気迫である。(と思う)
一方、『人間の建設』は対談である。小林秀雄というこれまた、傑物である。
最初は、岡先生が結構飛ばして、ワールド全開で、話し始めているのを受け流しているようで有りましたが、このオッサン(すいません)も相当なもんで、思いが迸(ほとばし)っている。ただ、当然に、対談なので、2人してお話しているので、エッセイではあまり感じなかった、説明的なセンテンスが儘(まま)、出てくる。霧が掛かったような見えにく合間から光が差すように、本来の『言いたいこと』が多少なりとも垣間見えるような感じがしました。
お二人の世界、いや『境地』が結構エグイのである、凄い対談になっている。
自分の読書スタイルとして、一気に読込むのではなく、時間のある時に様々な場所で少しずつ、読んでは止めてを繰り返しているので、前の話、話の流れは何やったっけ、て事もあるのですが、その時々読んでいる文章だけでも、結構なインパクトが有り、凄かったり面白かったりしました。
基本、凄い、とか、エグい、とか言って、内容にフォーカスしたことを書かないのは故意です笑
それは、狡(ずる)いといえば狡いですが、全体を語ってみたいので、今は語れない、語ることが出来ないというのが正直な気持ちです。
あらっ、というタイミングで読了。(してしまいました)
少々ページが残っていると油断(?)していたら、急に注釈のゾーンに突入、で、まだ残っていると思ったら、そこは、茂木健一郎氏のあとがきでした。
そのあとがきは、さっと読めました。多分茂木氏のいう事は、この本の要約として素晴らしく、的を得たものに感じました。が、しかし、この対談は、私個人いや、現代を生き抜く全ての人に対して示唆が半端ないと思います。
このお二人の真意は、スケール感のある『温故知新』となると思います。この本の『現代語訳』は、必要があると思います。
まさか自分が、いやいや、そういう事では無い。