日本という国の水槽の水の入れ替え方



最近、岡潔先生の著作に魅せられていまして、先生の独特のお考えにきっと色々な課題の解決の糸口がありそうだと思っているので、様々読み漁っています。
で、この本なんですが、以前からこの本の存在は知っていまして、インパクトが強烈ですので。『日本という国の水槽の水の入れ替え方』ですよ、皆様笑
で、その本冒頭には『日本民族の滅亡だけは何としても喰い止めたいと思う』という直筆サイン入りの色紙に、先生の風貌。。。。。。まるで〇〇ですわね笑
実は今日はこの本の事では無いのです、まだ、読んでませんし、以前少し読んだかに思いますが、無論読了してません。が、先生の仰りたいことの輪郭は分かります。他の著作に十分滲(にじ)んでいますので、『ああ、大体こういう事を仰(おっしゃ)りたいのだな』とは想像出来ます(全く違ってる可能性もありますが笑)
何(いず)れ読了の暁(あかつき)には、少し感想文は書きたいとは思いますが。
今日の処はこのタイトルの『日本という国の水槽の水の入れ替え方』という『水槽の水の入れ替え方』を考えてみたいと思います。
『日本という国』は今の自分にはデカすぎるというか興味が無い。そんでもって身近なものの変革改革に『〇〇という水槽の水の入れ替え方』とテーマを絞ると、中々に味わい深くなる文章だと思いませんか?箱物の形は変えずして中身を入れ替える程の、激烈な変革、しかも水槽。丸見えですわ。でも、結構分厚めのガラスにて覆われている。
ぶっ壊す、訳ではないのです。リストラクチャー(再構築)するのですよ、水を入れ替える事で。しかも、カタチは変わらず。中身が分かり易く変わっても、水槽ですから丸見えだし、カタチは変わらない。革命的ですが、何か軽やかな感じすらします。
どう入れ替えるのでしょうか?入れ替える、をそのまま採用すると、全員総入替。これは現実的でない。では、全員が総入替しかかのように変わる事?変われる?ホンマに?
でも、変われるのでしょう。変わる必然があるなら、変われなければ、淘汰される。という事は結局総入替、になるが、それは、取って代わるという事で、水槽ごと変わってしまっているので、また、違う話。
水を入れ替える、為には、先ず危機感の共有、同一テーマでなくていいと思います。各人の利益、危機感をそれぞれに積み重ね合って、結果、各人が変わり、組織が変わり、全体が変わる。改悪でなく改善方向のベクトルで。で、水が入れ替わる、訳です。
同方向のベクトルに各人、組織の利害が調整出来るか?大筋これが第一段階。その動機付けに、どう気付け、というのか?そのベクトル方向に、細かいハードルをどう設定し、どう配置するか、このハードルを飛び越えるだけでまとまっていくような、具体的且つややもすると簡単に出来そうな、ハードル。このハードルの精緻が全ての肝となるが、これを出来て第二段階。
水なんで、何らの触媒と掻き混ぜる行為でも変わるのか?
水を入れ替える、という『軽やかな感じ』も肝のような気もします。
そもそも、変わる必要があるのか?本当に淘汰はやってくるのか?
しかし、『滅亡を喰い止める』切実さは、必須という事なんだろうなあ。
難しい、とは、本来『楽しいこと』なぜ、この当たり前のことが解らないのか?と岡潔と小林秀雄の対談集『人間の建設』に書いてありました。これは楽しむための必須の行為なんでしょうかね。
何かある、何か方法はある、そういう気がする、確証がないこの段階の発想が、この段階の思考が、何故か大事なような気がする。