神の数式
よくよく考えたら、5月5日って子供の日かあ、非常に縁が無いモノになりましたなあ、とまあしみじみとスタートです笑
5/3、5/4のお昼間にBS1にて『神の数式』という番組が再放送されました。その番組の存在は、以前からYouTubeにて把握し、ちょこちょこ観てみたりしてたんです、今迄も。しかし、番組のちょうど眠気を誘うに絶妙の内容で、面白いとは思うものの、小難しいので、ついウトウトしてしまいます。また、正直パソコン画面も見ずらい、眠たい、進まないです。
そんな折、テレビでの再放送は有難いので、早速全4回録画しました。が、しかし、矢張り眠気は、テレビ画面になっても相変わらずで、気合いを入れて観ないと、すぐ、私を蔑(ないがし)ろにする内容なので、
油断も隙も無い⇒小難しい⇒眠たくなる⇒寝入る⇒また、寝入る前くらいに画面を戻す⇒また寝る⇒戻す観る、で漸(ようや)く、第一回目終了、二回目の途中なのである。
この経過を見る限り、本当にこの番組の事を面白いと思っているのか?何を面白がっているのか?よくよく、分かって無いじゃないの?と自分でも思います。
まあ、小難しいとこがポイントじゃないのですわ。自分的には。
この番組の内容は、随分極端にすると、おおよそ以下の感じです。
物理学者という人種は、何でも知りたいと思う訳です。
その中で、そういう方々が、以下のように仮定します。
『この世に、もし創造主が居るとしたならば、一体どういう設計図に基づいて宇宙を作り上げたのか?』
所謂(いわゆる)『神の設計図』を発見し、それを『数学の言葉=数式』で書きあらわしてみたい。
『神の数式』の探求というのは、全ての物理学者の野望であり、物理学者とは、万物の理論の発見が目標であるそうです。
少し閑話休題、番組内容を離れます。
ここで興味深いのが、『物理』という日本語です。
『経済』という日本語が、経国済民、経世済民という意味を指し、マクロ経済学というものをあたかも内包しているかの如くなのですが、
『物理』も、万物の理(ことわり)、つまりはそういう事を極める学問ですよと始めから書いているではないか?何と日本語の深すぎることよ、とまあ思う訳なのであります。(自分調べ)
まあ、この日本語の視点は番組とは直接関係の無い個人の感想ですが、この番組は、難しいことは別に理解せんでも、ああ、大体そういう事なんやね、へえ~凄いねえ、で観飛ばし聴き飛ばし、どういう風に人が、物理学者が、葛藤し、思考し、推し進めてきたか、来ているのかをザクッとわかる範囲で眺めているのが面白いのです。
岡潔の著作に、物理学者は『指物師』で僅(わず)か、30年かそこいらで原爆を作り上げ、試しやがった、そんなこと指物師だから出来る事で、数学者には無理な話だ。的に綴っていたと記憶しています。
で、素直な私?は『物理学者には騙されないぞ』という視点を持ち合わせ、どうしてもそういう穿(うが)った見方でこの番組を眺めています。まだまだ折り返しにも到達していませんが、頑張っていずれは完遂したいと考えています。また、見終わった頃に感想というか、指物師の行く末を見届けて、認識に変化が出来るのか?みてみたいと考えています。