読書について

2018年03月11日

本を読む事を、とぼとぼ続けています。自分のスタイルは、何と言うか、お金をあんまり掛けないで読書しようかなと思っていますので、図書館通いが基本です。和歌山県立図書館、東部コミュニティセンター(和歌山市立図書館の出先機関)、和歌山大学図書館が出没ポイントになります。


和歌山大学はよく分かりませんが、県立、市立とも貸出限度が10冊、大体2週間で貸し出してくれますので、目一杯使っています。こういう風に云うと、本をガンガン読んでいるイメージなんですが、基本、読んでいません笑


自分は、本を読んでいると、良く寝れる、という特性を有していますので、特に、食事なんて挟むと、どこでも寝れます。昔はよく、寝際に本読んで、数ページで寝落ちというのが、お決まりのパターン。これで寝ると、またよく寝れる笑しかし、稀にハマってしまい、逆に目が覚めるということもあるにはありましたが。


この特性が、読まねばならない時には、大いなる障害となっています。思いっきり続かないのですよね。


でも、読了には拘(こだわ)らないスタイルといいましょうか、目次や出だし、若しくはあとがきなんかで、少しでも『(自分に)引っ掛かる』ものがあれば、それキッカケで考える事が出来れば、これまた得意の妄想力に繋げれば、まあ、いいかなあ。

読了に拘り過ぎると、結局内容が残っていない、残念な事になるということが今迄儘(まま)ありまして、まあ、自らの容量の問題もありましょうが、自分が、自分の意志で、自分の為にやってる事なので、その図書と自分の関係性と申しますか、『どう(記憶に)残すか』がポイントでして。。。。。まあ、作者さんには失礼な話でして、読んでもない奴に、ああだ、こうだと、自分なら嫌だなあ笑


それと、今、小説を読んでいないというの大きいかもしれません。小説は読了しないと、完結しないですわな。中途半端では終われませんわね。


このスタイルのキッカケは、ガルブレイスという経済学者の『不確実性の時代』という本を以前ブックオフで買って、放置していたやつをパラパラめくっていた時に、その文章に至る知識の量と申しましょうか、この文章を表現するに至る思考の過程と申しましょうか、勿論原文を読んでるわけではなく、訳者も都留重人というまあ、昔から知ってる、一橋の先生だったような気がします、まあ、有名な経済学者の先生で、その人の文章というのもあると思うのですが、まあ、良い感じだったので、こういう系の本は、読了に拘らなくても別に気になりません、自分は。で、これも読了には至っていません笑


記憶に残す、というのはその図書を『身に付ける』という事でして、自分で消化し、咀嚼(そしゃく)し、糧(かて)にする、という事なので、ああ、面白かった、だけでもいいのですが、ここは欲張って、その図書を『使ってやろう』ということです。依って、残す工夫は模索中です。日々変わります。読書感想文なんかで残す場合もありますし、少々、纏めておくこともしますし、ブクログなんかも使っています。使いこなせては無いのですが。


だから、少しでも興味のある本は、興味のある分野の図書は、立ち読み感覚で借りてきますわね、読了関係無しですから。


でも、今、岡潔という数学の先生の著作に興味ありまして、このセンセ、書いてることが少々、よくよく考えなければならない、クセモノです。『多変数解析関数論』という、『なんじゃそりゃ』の分野で、正に、どうも、人類史に輝く偉業を成された方らしく、ただ、著作はおよそ数学者らしからぬ、詩人?哲学者?教育者?警世家?『情緒の中心』など意味深ワードが所狭しと羅列している、独特やなあ、のセンセであります。


その人の著作、遺稿、周辺を中心に読書していこうかなあ、なんて思っています、最近は。


あかん、これは読了せなあかん、せな分からん、しかも、一回読了してもわからんから何回も難解なやつを何回も泣









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